あきらの日記

クイア・ボードゲーム

為末さんへ

個人に何ができるのか、それは一人一人違うと思います。

嘆いている人にはそこに至る経験と理由がある。そういった人に、話も理由も聞かずに「覚悟を持って声をあげなきゃ何も変わらない」というのは彼らの経験や理由をあまりにも軽んじているように私は感じます。

「状況はそこまで最悪ではない」という言説は誰の話を聞いてどうやって評価したんでしょうか。為末さんのスレッドの話は為末さんの経験であって、日本で嘆いている人の経験ではないと思います。



例えば為末さんが今までどう苦しみどう戦いどう色々なことを乗り越えてきたのか私は知りません。もし為末さんが覚悟を持って勇気と自立心でなんとかやってこれた、険しいことを乗り越えてきたという経験があって、感覚や考えがあると言うのなら、私はそれを信じます。けれどそれは全ての人には当てはまらない。立場も違えば環境も経験も一人一人違います。誰かが政治を変えたいと思っていても声をあげる価値を感じなかったり、結果や影響を信じることができないと言うのなら、私はその人がそう感じているという気持ちを信じます。私は違う考えだけれども、私には私の経験と理由がある。

為末さんが言う「政治を変えるとして、声をあげるのに必要な覚悟・勇気・自立心」声をあげるのに必要なものはそれだけではないと思いますが、どちらにせよその気持ちを養うだけの経験や環境や立場が必要だと思います。もしこれらを削ぎ落とされてきた、もしくは築き上げる経験を得なかった人々にとっての、それらを養う一歩はその人それぞれの形があると私は思います。

それは民衆の抗議が影響して政治が変わったことを目撃したり、または自分の好きな服を着て街にくりだすことかもしれないし、ただ自分の話(嘆き)をしっかり誰かに聞いてもらうことかもしれない。そういう一歩はほんと人それぞれですよね。誰にとって何が一歩に当たるのかは話を聞かずしては分かり得ない。そしてその一歩も一歩では終わらずに何度も何度も積み重ねていくことで養われていくんじゃないでしょうか。覚悟を持てばなんとかなるとか、政治的に声をあげる気持ちになれるというのは、私は一人一人への理解ではなく決めつけだと思います。

 

為末さんのスレッドでは、話の主旨はリーダーシップの話でした。リーダーシップという意味が一人一人が自分の考えや気持ちを大切にすると言う意味でしたら私も同じ気持ちです。しかし為末さんがいうリーダーシップというのはこの日本の環境に適応しこの社会でいう強者となるという意味ではないでしょうか。

「政治が問題ならなぜ自分は政治家にならないのか。良い会社がないならなぜ自分が作らないのか」という問いからそう感じました。

まず政治を変えるために政治家になる必要がある国はそもそも民主主義的ではない。国のリーダーは常に民衆であって政治家であるべきではないと私は思います。政治家にならなければ政治が変わらないことがそもそも間違った状況で、為末さんもそう感じているならその気持ちや考えの理由を突き詰めてみて欲しいです。そして政治家ではなく民衆である私たちが不満を言い不平を言い抗議し議論することは大切なこと。そしてその影響によって政治は変わっていく必要があると思います。その意味でも一人一人が自分自身の考えや気持ちを大切にしていくことは重要であると思います。

どんな場所であれ不平や不満の言えない環境がより良いあり方だとは私は思いません。それは会社においても同じです。いい会社がないなら作ればいいというのはあまりに横着です。会社に問題があるなら、それを聞いて社会がそれを是正していく必要が私はあると思います。それは低賃金だったり、セクハラやパワハラという問題もあれば人間関係ややりがいという個人的な問題も原因がなんなのか知るべきだと思います。

「問題だと思うなら、なぜあなたがやらないのか」も実際に問題や困難を抱えている人に当てはめて考えれば考えるほど非情な声かけだと思います。困難を抱えている本人が声を上げられない状況が問題であることも多いはずです。問題だと聞いているのに話を聞くつもりがないように思わせるセリフです。

そしてリーダーという強者であることでしか社会を変えられない世の中は私にとってはとても不穏です。社会的に声が小さくなりがちな人の声を拾うこと。社会的な強者でなくても社会を変えていける世の中ではいけませんか。

 

今回の為末さんのスレッドを再度読み直しました。「リーダーとなり、恨まれ責任をとる。誰かを排除する。誰かはあの人がいるなら俺たちはやめると言ってくる。人の人生を壊すかもしれない。不満を言われる。」これは個人的な経験の話ではないですか。

リーダーであることで周囲の不満や過大な責任、苦しみや困難があることを私は否定しません。

為末さんがそういった経験があって今に至る考えや気持ちになっているというのであれば、そのことも私は否定しませんし信じます。それはきっともっと議論されるべきであり、より健やかなリーダーとしてのあり方にできることではありませんか。

リーダーが恨まれないシステムや環境が必要でしょうし、排除された者の人生は変わったとしても壊れずにサポートされるべきです。人間関係の困難はリーダーだけの問題ではないはずだし、不平不満の言動は塞ぐべきではなく、積極的にフィードバックとして集めていかなければならないと私は思います。実際に何があったのかは私は知らないのでこれは推測ですが、為末さんが経験したリーダーとしての困難や苦しみの原因は、単にリーダーシップを取ろうとしない不平不満を言う人々だけではなく、そのリーダーシップのシステムや社会的、政治的な問題でもあるのではないでしょうか。

 

さいとうあきら